Pro Staff

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  • 小西 隆文 Takafumi Konishi

    プロスノーボーダー/NPO法人リブラント代表 生年月日:1978年生まれ 出身地:徳島県

    ハーフパイプ、スロープスタイルなどの大会で活躍したあと、バックカントリーでの活動に没頭。15年以上メインで出演するHeartflmsではアラスカ、カナダなどで多くの映像を残している。
    最近ではフリーライドの大会でも活躍し、フリーライドの楽しさを伝える活動もしている。
    2023年、標高5000mで急斜面を滑るパキスタン遠征も終え、現在も精力的に活動しシーンに影響を与え続けている。

  • 村上 史行 Fumiyuki Murakami

    プロスノーボーダー 生年月日:1985年生まれ 出身地:北海道 札幌市

    札幌出身小樽在住。小3からスノーボードをはじめ今に至る
    2006年トリノオリンピックハーフパイプ出場
    今は、仕事、スノーボード、サーフィン、スケートボードで極上を味わいたいという思いで続けています。

  • 大久保 勇利 Yuri Okubo

    プロスノーボーダー 生年月日:2000年7月24日 出身地:北海道 札幌市

    小学3年生の頃、兄の影響でスノーボードを始めた。のだが早速鎖骨を骨折してしまう。上達には基本が大切だと考えバスで地元札幌のスキー場へ友達と通い続ける。
    中学2年生でプロ転向し、その翌年にはプロ戦で初勝利を収める。その後2017年FIS世界ジュニア選手権ビッグエアー優勝。
    同年ワールドカップビッグエアードイツ大会2位。そして2018年冬季オリンピックでは日本代表選手としてスノーボードスロープスタイル・ビッグエアーに出場した。若干17歳にしてオリンピアンとなる。2019年シーズンは、コンテストに撮影にと世界中を飛び回る予定だ。

    主な戦歴
    2017年 F IS世界ジュニア選手権ビッグエアー優勝
    2017年 ワールドカップ ビッグエアー ドイツ大会2位
    2017年ワールドカップ スロープスタイル アメリカスノーマス大会6位
    2018年 平昌オリンピック スロープスタイル 14位
    2018年 平昌オリンピック ビッグエアー 18位

  • 遠藤 夏樹 Natsuki Endo

    プロスキーヤー 出身地:福島県

    福島県猪苗代町出身。3兄弟の次男に生まれ幼少期から兄弟でスキーを楽しんできた遠藤夏樹。高校卒業後にフリースタイルスキー競技のモーグル、スロープスタイルで日本代表経験を積み現在は自身のスクールFREE SKI LESSON Nを開業しスキーの楽しさを全てのスキーヤーに伝えている。
    現在はフリーライドスキーと呼ばれる枠にとらわれないスキーをメインに活動しながらモーグル、スロープスタイル、バックカントリーなどのコーチングやレッスンなど幅広い活動を行なっている。

  • 金田 輝士 Kiyoshi Kaneda

    プロサーファー 生年月日:1983年2月28日 出身地:大阪府

    日本屈指のビッグウェーブプロサーファーの金田輝士。
    両親の影響でサーフィンに出会い、中学生で本格的にサーフィンを始めた。15歳でサーフィン修行の為、サーフィン発祥の地の千葉県鴨川市へ単身移住し鴨川高校に入学。卒業後にはプロサーファーを目指しオーストラリアのビッグウェーブポイント、マーガレットリバーでテント生活をしながらサーフィン修行に明け暮れた。その後再び千葉県鴨川市に戻り、2004年に開催されたNSA東日本選手権大会にて優勝を機に2007年プロサーファーへ転向。自身の理想を追求し日本国内の海、そして冬にはハワイの海と向かい合う毎日を過ごす。ハワイでは、命懸けのチャレンジに明け暮れる本物のビッグウェーバー達と出会いその気高く偉大なる世界にのめり込む。昨年末10フィートを超える日本海のモンスターズラブにて大波に打ち付けられ、生死をさまよう。自身の判断と多くの助けもあり奇跡的に助かったものの、椎間板破裂、胸椎破裂骨折と歩行も出来ない程の大怪我を受けてしまった。そんな歩行も難しいと言われた中、これまでの長い経験で積み重ねてきた強靭な精神力と肉体で現在は驚異的な回復を見せている。今現在も毎日、復活に向けてトレーニングを重ねる。

    彼は云う。「僕の復活は20フィートの波に乗ること」

    ビッグウェーバーの名にかけて彼が復活する事を切に願う。

  • 武山俊則 Toshinori Takeyama

    ロマンメイドジャパン 代表 生年月日:1979年9月7日 出身地:岐阜県岐阜市

    山川湖 私の周りは自然に恵まれていた。
    釣りという魅力に取りつかれるまで、さほど時間はかからなかった。近所の小川でフナ釣りに没頭した。日が暮れるまで何かに取りつかれたように…。ある日、父親に少し遠くの川へ連れていってもらった。今思えば大江川だった。そこで「ブラックバス」に出会う。10才の時だった。パワーがあり、何よりそのゲーム性に身も心も持っていかれた。今のようにルアーの数は多くなかったが、愛着のわくルアーばかりだった。そのルアーはアメリカンルアーだ。1日何十回、何百回とキャストしてはドキドキを追いかけた。がむしゃらに釣りを楽しんでいるうちに色々な発見、また疑問を感じるようになりはじめた。「このルアーもっとこうだったら」なんて感じに、私は見よう見まねでルアーを削り始めた。自分で初めてルアーを作った時は、当然動くわけはない。なぜ動かない。そこでなぜ動かないか、また疑問。色々試行錯誤し、第一弾、第二弾とルアーを削り続けた。探索する気持ちが私を前へ前へと進ませた。それからは、いつもいつも自分で作ったルアーで釣りをした。最初は釣れなかったが、それ以上のうれしさがあった。ただ釣りたいのであればもっと違う釣り方をしていたはずだから…。今でも覚えている。いつもと何の変わりもない平凡な夕方、ランドセルを投げ捨てすぐ川へと向かった。昨日出来上がったルアーをキャストするためだ。何気なくキャストしたルアーに思いがけない衝撃が走った…。その瞬間は今でも熱く脳裏に焼き付いている。ハンドメイドで魚を釣る「感動」これが私のRootsだ。この頃からRoman Madeは始まっていた。今では、フィッシング専門誌ルアーマガジンで特集を組まれ、アメリカでも著名な専門誌 OUTDOOR LIFE / BASS ANGLER MAG / AMERICAN BASS ANGLERS etcに取り上げられる。特に2014年にはFORBESLIFEにも掲載され多くに人々が驚いた。

  • 松山智一 Tomokazu Matsuyama

    アーティスト 生年月日:1976年4月30日 出身地:岐阜県高山市

    幼少期はアメリカ西海岸に住む。
    そこでスケートボードに出会いこのカルチャーの影響を受けながら育つ。その後飛騨高山に戻りスノーボードに明け暮れる冬を過ごしメディアにも取り上げられ世界を飛び回る。そんな過酷なシーズン中に10ヶ月も歩けないほどの大怪我を負ってしまう。病床でこれ以上は滑れないと覚悟した彼は、それからの一生をファインアートに捧げることを決断する。上智大学卒業後、2002年に渡米しNY私立美術大学院プラット・インスティテュートからコミュニケーションズデザインのMFAを取得する。アメリカNYにTOMOKAZU MATSUYAMA STUDIOを設立後、世界中の展覧会や個展で作品を発表。2013年にはハーバード大学にてアーティストプレゼンテーションを行い、個展も開催された。若い頃からの情熱を常に持ち続け、現代日本人ファインアートのパイオニアとなった彼は世界の大舞台でこれからも戦い続ける。

    彼の作品は、アジア美術館/サンフランシスコ・ロイヤルファミリー/ドバイ・アラブ首長国連邦/スタンダードホテル(アンドレバラツグループ)/コスモポリタンホテルグループ/マイクロソフトコレクションなどのコレクションに常設されています。2014年8月には香港ハーバーシティギャラリー公共美術委員会に授与された。

  • 太田 宜孝 Yoshitaka Ota

    プロスノーボーダー 生年月日:1975年3月7日 出身地:京都府

    京都府向日市生まれ。京都府向日私立第五向陽小学校、京都府向日私立勝山中学校、履正社高等学校中退。
    BURTON SNOWBOARD SCHOOLに勤務、1997年SALOMON SNOWBOARDSやNEONELEMENTS等各メーカーと金銭契約を結びプロスノーボーダーとして活動を始める。これ以降、国内外のコンテストやメディアで活躍し一躍トッププロスノーボーダーとなる。2009年株式会社太田商会の前身となるGRAVITYDESIGN設立。実家が剣道場を営んでいるので僕は幼い頃から竹刀を持って走り回っていた。道場では厳しい父も休みの日には家族を引き連れ近所の小川へ沢蟹捕りに連れ出してくれた。夏の暑い日も冬の寒い日も移動は家族4台でもっぱら自転車。写真や画が大好きな祖父の真似をして僕も画を描き始めた。もちろん祖父のように上手く描けないが、優しい祖父はいつも褒めてくれた。中学3年生まで住んでいた7階建てのマンション、その頃は度胸試し全盛の時代。幼い頃は僕も1階から7階まで樋を登ったり降りたりなんて無茶をしていた。だから学校でも美術と体育以外の勉強はダメ。スケートボードと出会ったのは小学5年生の頃。近所のスーパーで売っていた3千円のスケボーをねだって買ってもらった。スケートボードのいい所。それは移動手段にもなれば最高の遊び道具にもなる。そして社会から疎まれる存在だった事。一般的でない遊びにはストレスがつきもの。そんなストレスはスケッチブックや近所の高架下の壁に発散したり。悪い事と分かっていながらも、そこに表現するという魅力には勝てなかった。スノーボードと出会ってからもそんな考えは変わらない。一般的でないのはスノーボードも一緒だったからだ。22歳でプロになった頃に大好きなスノーボード用品のデザインを始めた。なけなしの契約金で買ったPowerBookG3を持って世界中を旅した。スキー場で僕がデザインしたウェアを使ってくれている誰かもわからない人を初めて見たときは大きな喜びに包まれた。そんな感情がきっかけで現在に至る。むりやり僕を初めてのスノーボードに連れて行ってくれた幼馴染は、僕が初めて作ったウェアを今でも着てくれている。