Chapter 6
自由の気化
“PASSION FRUITTS GIN”(a)を飲んで、「うまっ」と思わず口をついて出たんです。何層も奥へと分け入るような、あるいは逆に感覚をこじ開けられていくような、そんな体験に驚かされました。
ありがとうございます。ジンは一般的に「ドライなもの」、キレがよくて、どちらかと言えば味わいよりも香りを楽しむものとされています。だけど、僕自身は「ヘイジーな(にごりのある)もの」を好むことが多く、本来は蒸溜の工程で取り除くパートもあえて混ぜて、雑味やくさみも積極的に取り入れたりします。そこの畑で採れたハーブや原料の味わいがダイレクトに感じられるよう、ストレートでも楽しめる設計にしたいんですよね。
「ジンかどうかの判断は皆さんに任せます」と書かれたラベルも印象的でした。
言ってしまえば、僕はジンそのものにこだわりはないんですよ。蒸留と農業で遊びたいだけなので。もちろんジンが持っている歴史的な積み重ねにはリスペクトはあります。でも、粗悪酒から始まったともされる歴史にただ無批判に乗っかって、企業が流通させている何が入ってるかもよくわからないものをベースに製品化する流れにはあまり共感できません。そうしたお手軽なジンに「クラフト」などと安易に冠してしまうのにも、です。そうこうしていろいろ遊んでいる内に、実験めいたことにもなってきました。
定義に縛られないからこそ、そうした遊びがある?
どうでしょうね。ビールやハードサイダー、日本酒の造り手の友人と、それぞれがこれまで廃棄していた残滓やガラを交換しあったり、送られてきたワインの樽にそのまま蒸留酒を寝かせてみたり、よくわからない遊びをしています。近所の米農家から、全国でたまたま知り合ったお茶農家まで様々な人と協業したりも。そうした自由度の高いジンの、関わりしろがつくりやすい点を気に入っているんです。先日はデンマークから来たソムリエと黒姫山に自生するアブラチャンという木の実を採りに行き、蒸溜とブレンドまでを一緒にしたりもしました。
そのような実験精神には、何かこれまでの経験が関わっているのでしょうか?
とにかく広いところに行きたいと思って、19歳でニュージーランドに行きました。そこから24歳くらいまでは、バンコクに留まりながらあちこちをフラフラしていて。20代後半あたりからは「シネマキャラバン」という、今で言うコレクティヴが主催する逗子海岸映画祭(b)に、映像や飲食周りで関わってきました。メンバーにはカメラマンや絵描き、DJ、ミュージシャンもいて世代的にも幅広いのですが、全員が工具を持っていて造作ができる。海外の滞在中にいろんな日本人と会ったんですけど、「自由」を叫ぶわりに自分で何ができるだろうと疑問に思っていました。自分の手でできるようになるのが一番の自由では、と。その思いが映画祭でいっそう強くなりましたね。僕にとっての「自由」は、少なくとも既成のものを組み合わせるゲームではないんだと思います。
そうした自由に対する思いが、拠点づくりにも繋がっていく。
東日本大震災の発災後、自分が寄って立つ場所はどこかと考え直させられました。その場所は海外からでも地域外からでも人を迎え入れられるようなベースがいいと思って、2012年に鎌倉でオイチイチ(c)をオープンさせます。その後のいくつもの有事を見るまでもなく、国内の政治に対する不信は簡単に拭えません。決して単純なことではないけれど、不当な支配関係にはノーと言いたい。でも、コロナ禍では結局「国」という単位で行動を制限されなければならず、一応は認めて受け入れなければいけない条件なんだなと感じました。
それに対するひとつのアクションが、この蒸留所だった?
そうですね。縁あって信濃町に来た時に雪解け水の湧き出る水源がある家を見つけたんです。この土地で何ができるかなと考えた時に、まずは自分の身体に入れるものを自分の手の及ぶ範囲でどうにかできるようになりたいと思っていたので、すぐにここに決めました。
中でもこの土地だったのには何か理由があるのでしょうか。
感覚的にですけど、東京の文化圏のすこし外側に位置するのは大きいですね。例えば軽井沢は都市圏にも近く、これから拠点としてトレンドになるだろうことは目に見えていましたし、そうした消費的なものと距離を取る必要性を痛切に感じていました。気づけば同じ感覚で住んでる人が同時多発的に増えていて、とはいえ同質的ではない人が集まる街になった。人口8000人を切っているのに、かなり異様な事態だと思っています。やっぱり僕は、中央集権的なものや資本の論理なんかから距離をとった、本当のインディペンデントでありたいんです。ただし、その「本当」が何を指すのかは、いつまでも問いのままではあります。
どこまでいけば独立と呼べるのか。
そうそう。こないだ知人に「その独立の先になにがあるの」って言われちゃって答えられなかったんですよ。ただ、とにかく僕は横のつながりを大事にしていたいし、そこで起きる喜びや楽しみを大切にしたい。それらを害するものがあるなら、はっきりと拒否をしなければいけないと思います。楽しさから発しないクリエイトは、すぐに分かっちゃうじゃないですか。せめて自分でつくるものの始まりには、そうしたものを置きたいな、と。
それが地域を超えた造り手のつながりとなっていくんですね。一方で、お酒は地域のアイデンティティを強調する側面もあるように思えます。瀬木さんはむしろ掛橋になることを志向されていますよね。
「掛橋になる」というとすこし大仰ですが、「一緒に遊んで仲良くなる」その遊び場として蒸溜という過程が適していたということに尽きると思います。そもそも世界中でこれだけ飲まれてるお酒自体がそういうものでしょ?もちろん地酒に対して憧れに近いものを感じているし、この土地のテロワールを表現したいとも思っています。とはいえ先程の実験ひとつとっても、内と外に二方向あって、内向きに深く掘り下げていくのであれば、僕よりももっと執念深くやっている人がたくさんいる。でも僕ができるのは、いろんな人をつなげることなので外向きを志向することが多くなりますね。自由な発想を妨げるものが少ないのは内向きでやってこなかった強みではあるかなと思います。だから、突然何かのジャンルとして強調されたりすると、すこし戸惑ってしまう。ここまで様々なものがミックスされてきている現代で、なぜジャンルわけが必要なのか、と。もちろん、ひとつの仕事をし続けている方へのリスペクトがあるのは前提ですが、結局マーケティングワードに取り込まれてしまっているものも少なくない印象です。
一方で、情報の溢れる世界ではインスタントに認知を得るためのジャンルを求められてしまうこともあるとも思います。ご自身自体は、ノンジャンルであることを苦しくは感じなかったですか?
全然苦しくなかったですね。ずっとマルチだし、別に今でもずっと何者でもないですよ。僕の場合は、そういう雑多なものを仮にまとめておくのに蒸留家という存在は適していたんだと思います。そこでのゴールは「美味しい液体」であって、そうであるならばジャンルとかはなんでもよい、と思っています。
なるほど。その点、結局のところ「美味しい」って何なんでしょうか。
味や香りも脳で処理するとしたら、味覚や嗅覚だけが「美味しい」を構成するとは思いません。飾る言葉や器、味わうロケーションなどの雑多な刺激も必ず影響している。だから、絶対的な感覚というものは信用していません。それはひとつのアンテナではあるし、その感度を高めていく重要性も確かにありますけどね。やっぱり「美味しい」を科学的には答えられないんじゃないかと思いますよ。