Text: Ryoji Nakashima Photo: Kosuke Ikeda

Chapter 8

身の丈と背のび

北平 友哉 (クライマー)

岩壁に自然にできた亀裂を頼りに、ずしりと重いギア一式と身ひとつでにじり登る「クラッククライミング」。中でも、握り拳よりもやや広いクラック(亀裂)を、手のみならず全身を使って登る「ワイドクラック」に魅入られたのが今回のお相手、北平友哉さん。ワイドクラックの最難関とされるアメリカ、ユタ州キャニオンランズ国立公園の「センチュリークラック」(a)に挑戦し続けている。そんな北平さんが動くと、そこにはワイドクラックが立ち上がる。その場にあった、なんでもない机や壁を使って、(セルフナレーション付きの)パントマイムが始まる。超一級のクラウンは、その軽妙な身振りと可笑しげな口角で周りの観衆を惹きつけるうちに、おどけた白塗りは汗と砂にまみれている。人が生きるための狭さと広さの攻防が、ありありと浮かんでくる。登攀を続けてきた、北平さんの人生を垣間見た数時間は、ちょうどそんなひとつの観劇経験そのものだった。
北平友哉さんの写真

2022年のドキュメンタリー(b)の冒頭で、センチュリークラックを目の前にして涙されていたのが印象的でした。

得に理由はないけど、ただ泣いちゃいましたね。1~2ヶ月かけて、ひとつのクラックを登り切ったときにも、うるっとくることはあるんです。でも、それとはまた違った涙でした。僕がセンチュリークラックを初めて知ったのは2014年頃で、当時は大まかな場所しか公表されていなかったんです、現地に着いてからも、GPSと航空写真であたりを付けながらセンチュリークラックを探しました。初めて知ってから到達するまでに、気づけば8年ほどが経っていました。

実際に対面されていかがでしたか?

あった。映像のあれがあった。と挙動不審になりましたね。当時食い入るように見ていたワイドボーイズ(c)のドキュメンタリー映像の中の景色が僕の目の前に広がっていて、心が震えました。自作の専用マシン「センチュリーくん」(d)でひたすらトレーニングを続けてきた、センチュリークラックを象徴する30mものルーフクラックは、到着した地点から取り付き位置さえ見えません。

北平友哉さん センチュリークラック挑戦の様子 提供写真 : 鈴木岳美

センチュリークラックで人生が一変する前夜のことが余計に気になってきました。

センチュリークラックも知らず、登山さえしていなかった当時は、岐阜県の電子部品メーカーで働いていたんですが、精神的に参っていた時期でもありました。当時の僕は出世欲の塊みたいで、それが自分に合っていないことに全く気づいていなかったんです。

すこし、意外です。

子どもの頃から、なにか満たされないものをずっと抱えていたと思います。あんまり背も高くないし、家も特別に裕福なわけでもない。中学校3年の時には腎臓病になり、高校3年間は一切の運動を禁止されたので、それまでやっていた野球も辞めざるを得なくなりました。だから入社後にも、「この場所で一番になってやろう」って気持ちが先走っていたんだと思います。でも、ダメでした。見かねた上司に部署を変えてもらうことになります。ちょうどそのあたりに友人が誘い出してくれて、伊吹山へ行くことになりました。初めての富士山とは違い、そこではなぜか楽しかった。「進めば着く」ということに惹かれたことを覚えています。

センチュリークラック挑戦のため自宅に設営したセンチュリー君での練習

そこから、クライミングのなかでも、どちらかと言えばマイナーな方へと向かわれるんですよね。

はい。百名山(e)の登頂を目標にしたり、荷重を徐々に増やしながらの登山だったり、着実にできることが増えていくことに喜びを感じていました。それで槍ヶ岳に登頂した際に、一般登山道とは別ルートの北鎌尾根に強い憧れを持ちました。この峻険な尾根道を行くには、ロープを使ったクライミング技術が必要になるかもしれない、と思いました。一刻も早く離れたいほど危険だと分かっていても、そこから身動きが取れなくなってしまうような道を行くのは恐ろしい。けれど、たとえ進退窮まったとしても、ロープをセットしたり装備があれば命だけは守ることができるかもしれない。そうしたら、行ける場所も広がる、と思ったんです。

「ワイドクラック」と出会うのもわりとすぐに?

クラッククライミングを学びたくて、瑞牆山(みずがきやま)で開かれた佐藤裕介さん(f)のクラッククライミング講習会に参加しました。そこで、「ワイドクラックに興味はありますか?」と声をかけてもらったんです。当時から僕にとって憧れだった方に声を掛けてもらえて、近くのクラックに連れて行ってもらいました。フリークライミングのなかでの一ジャンルとして、クラック。そのなかでもフィスト(握り拳)よりも広い隙間を全身を使って登るワイドクラック。こここそが自分の居場所だ、とさえ思うようになりました。でも実は僕だけでなくて、性別に限らずすべての人も、みんなワイドクラックみたいなことを経験してるんです。なぜだと思います?

あっ、産道ですか?

そうです。みんな隙間から生まれてくる。みんな記憶はないけど、生まれた時に経験してくる。この話が結構好きなのは、単にクラッククライミングが楽しいからもっとたくさんの人に知ってほしい。と思うのと同時に、ワイドクラックが原始的な記憶に想像を膨らませられるからなんです。それと、ワイドクラックで落ちるときは、心が折れたときってよく言われるんです。身体的な能力の差異よりも、どちらかと言えば「心の強さ」が求められます。

北平友哉さんの写真

「心の強さ」というのは?

ひとつには、落ちる恐怖とどう向き合えるか、ですかね。たとえば「もう一手」を出せば進めるかもしれない状況で手を伸ばせるかどうかや、数に限りのあるカム(g)を遠くに置くのか、近くに置くのか。といった選択を、この恐怖を前にどのように決断できるか。そこで、心の強さが試されます。落下の恐怖って、本能的なものだと思うんです。ロープの支点から離れるほど落下時の自身の宙吊り状態での振り幅も増してしまう。地上数10mの高さからだからなおさらです。それで映像にもあったとおりカムを忘れてきたら、とたんに怖くなっちゃったんです。それまでいい調子だったのに、自分でも驚くほどに恐怖が迫ってきた。さっきまで助けてくれていた想像力が、今度は諦めさせる要因になった。

愛用の道具 センチュリー君に書かれたメッセージ「センチュリークラックを登る」
愛用の道具を使う様子

クライミングでの「強い」には独特のニュアンスを感じるのは、その点が関係しているんですね。

そうですね、一般的な「強い」とはすこし異なる、限定的な使われ方をするかもしれません。クライミング的には、限界に近いところからあともう一手をどうにか出すようなクライミングを「強い」と表現することがあります。行けると強く信じて突っ込んでいけるタイプのクライマーに多いですね。そういう意味では、ぼくはぜんぜん「強くない」。周到な準備や調整を重ねてかさねて、何度も執念深くトライするタイプです。いわゆる「オンサイト」(h)とはやや遠いスタイルです。でも、そこに魅力や誇りを感じています。僕は強くなくていい。その代わり、とにかく辞めない。

単に一発で登り切れるだけではない「強さ」。

継続的な時間軸という意味では、僕は歴史の年表も大好きなんです。あるひとつの事柄がどう変わっていったのかが鮮明に記されていますよね。情けないひとつの落下でも、俯瞰して見れば次につながっていると信じられます。

北平友哉さんセンチュリークラック挑戦の様子 提供写真 : 鈴木岳美
北平友哉さんの写真

言葉を選ばずに言えば、「背のびを辞めない」という印象を受けました。

確かに、クライミングでも、文字通り背のびしてますしね。届くか届かないか分からないけど、どうにか掴もうとしてみる。目標設定でも、クライミングでも。それで言うと、センチュリーくんにぶら下がっていたり、岩の隙間に挟まっている時間は「身の丈」を知る時間でもあります。会社員時代にこしらえた欲望が砕けた時にも、身の丈を知った。信じられないミスをする時にも、次のクラックに手が出せない時にも、知らしめられる。でも、身の丈を知るからこそ、背伸びしようと思えた気もしています。

背のびし続けられるのはなぜなんでしょうか?

そこは産道なので、産み落とされなきゃいけないですからね。はっきりと別の世界に通じている、と信じているからかもしれません。もちろん僕だけでなく、家族にも多大な理解や協力を強いることにはなりますが、次男は「死ぬまでやれ!」とセンチュリーくんに寄せ書きしてくれました。彼らや自分の為にも、懸命に背のびをする。でも、活動をプレゼンテーションする時にはあくまで手の届く存在として、僕自身を表現し続けることこそを大事にしたいと思っています。元々は普通の会社員でしかない自分が、たまたまワイドクラックに出会って、周囲や環境にも恵まれて今があります。そんな身の丈であるのと同時に、必ず手を出してきました。身の丈は超えない、けれど背のびはしてきた。まだしばらくはそんなクライミングを続けていきたいと思っています。

(a) アメリカのクライマー、スティーブ・バートレットが発見。2001年にエイドクライミングで完登。その後、フリークライミングでの完登を目指す「センチュリープロジェクト」として10年以上にわたり語り継がれることとなる。2011年イギリス人の2人組「ワイドボーイズ」が初めて完登した。 (b) 「センチュリークラックへの道 The Road to Century Crack」(詳細をみる) (c) イギリス出身のクライマー、トム・ランドールとピート・ウィタカーのペア。 (d) 二拠点にそれぞれ作られた自作の木製トレーニングマシン。写真は、二号機の「スーパーセンチュリーくん」。 (e) 日本百名山。文筆家・登山家の深田久弥による独自の基準により、選定されている。 (f)アルパインクライマー。1979年山梨県生まれ。(詳細をみる) (g) カムデバイス。クライミングギアのひとつ。岩の割れ目に差し込み、クライマーの墜落を防ぐ支点として使用する道具。 (h) 目標とするルートの情報を持たないで、最初のトライで完登すること。 (i)2回目以上のトライで完登すること。情報を得た上での初回完登「フラッシュ」やプロテクションをセットした状態での「ピンクポイント」などと棲み分けて用いられる。
お話を聞いた人 北平 友哉 (きたひら ゆうや)
クライマー。1980年、宮崎生まれ。岐阜県高山市在住。長野県川上村にあるクライミングショップ「ROOF ROCK」代表。2019年よりトレーニングを重ね、2022、2024年に挑戦。センチュリークラックの完登を端緒とした「世界中のワイドクラックを登る」「海外のオフィズスクライマーを日本に呼んでセッション」等を目標に、現在もトレーニングに励んでいる。
北平友哉さんの写真 ROOF ROCK
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気になる人がたまにいる。そのことは見れば分かる。でも、なんで気になったのか、それがどこからきているのかは分からないことの方が多い。だから、聞いてみた。気になる人の足跡を追って内面へと遡行する、前進の解剖学。