Text: Ryoji Nakashima Photo: Kosuke Ikeda

Chapter 9

加速する生を前に

垣内 康介 (山岳レーサー)

富山湾から静岡は駿河湾まで、北・中央・南アルプス約415km縦走のタイムを競うTJAR(トランス・ジャパン・アルプス・レース)。その距離もさることながら、「累積標高差:27000m」の数字に、この2年に1度のレースの異常さがよく表れている。タイムリミットは8日以内。基本的にエイドサポートはなく、自らの力のみで走り切ることが求められる。トラブルが起きた際にも自己対応が前提。そのため30名という出場枠の狭さに加え、相当に厳しい参加条件が設けられている。トレイルランニングの完走経験に始まり、高地での長期キャンプ経験、フルマラソン3時間20分以内(これは男性ランナー全体の上位5%に当たる)、パートナーや親族からの承諾書の提出、などと連なる条件に、「自己責任」の文字が強調されて並ぶ。そんな厳しい条件のクリアと選考を勝ち抜き、出走資格を得た2018年、垣内康介は初出場・初優勝を果たす。感染拡大による延期を経て迎えた2021年。連覇の期待が掛かるなか、天候悪化により2日目であえなく大会中止になった。その後もトレーニングの過負荷に体が着いてこず怪我を頻発。2022年の出場を見送ったとき、自身のパフォーマンスのピークが超えたのを実感していた。戦いの場が変わっていく気配を感じながら、次を見据えた。今度は競争ではない。参加者ひとり、誰も成し遂げていない冬季のソロTJARルートへ。グリーンシーズンとは一変する山、時間と共に様変わりしていく戦い、「目標」の定義。前進の解剖学を進めよう。意外にも、そのセンターピンは「停滞」や「撤退」の学びにあった。
垣内康介さんの写真

TJARというレースは、どのような速度感で展開するのでしょうか?

個人が熾烈に競り合うというよりは、まずは各々の完走が目指されていますね。なので「レース」から想像するスピード感とはすこし違うかもしれません。野営しながらでもあるので、どう自身をケアするかもレースの一部です。僕自身優勝した時も、4日目が終わるまではトップ争いしていることさえ意識していませんでした。出し切ってゴールすることだけを決めていたんです。

1週間近くも山中で走り続けるのは、なかなか想像しづらいです。どんな技術が求められますか?

大きくは、悪天候時の対応力と睡眠・食事の管理でしょうか。それと、夏季とはいえ体温低下にはかなりの注意が必要です。僕は、夜中から翌日の夕方までを行動時間として、夕方頃からはしっかりと休息するスタイルでした。最も気温が下がる時間帯は休息に向いていないので動く方がいいと判断しました。なので、眠気が一番ツラい。終盤の南アルプスは特に、しんどかったです。

完走後のインタビューですこし言葉に詰まったあと「報われました」と言っていましたが、どのような心境でしたか。

完走することしか頭になかったので、あの間は、単に何も考えてなかったからです。笑 レースと同じ期間、仕事の休みを取るわけにもいかないので、初本番で初挑戦。なので「やってみたらできちゃった。しかも幸運にもトップだった。」という感じで。とはいえ出走前の台風の日には喜んで山へトレーニングに行くような日々を過ごしていたのもあり、期間中ずっと悪天候だった2018年はラッキーだったんです。僕がすごいというより、全員が力を出しづらい状況だった。

垣内康介さん 提供 : KOUICHI AOTANI

やはり「なぜそんなことをしているのか」と聞きたくなってしまいます。どのような経緯で挑戦に至ったのでしょうか。

「放浪の旅」というものに憧れて20代で世界一周に出ました。当時は特に山に行っていたわけではなかったんですが、パキスタンで「宝石が取れる山があるらしい」と聞きつけ、宿に居合わせた数名で行ったんです。実際、取れるわけはないんだけど、彼らと山の中を走り回ったんですね。それが楽しくて。しかも、僕は意外と怖がらずに突っ込んでいけてしまえた。その後にトレイルランニングというものを知り、どうやらレースもあるらしい、と。それがとてもかっこよく見えたんです。

急な坂道を猛スピードで降るスリルに惹かれた?

というより、準備にしろレース中の展開にしろ、ひとりでコツコツ積み上げていくのが性に合っていたんだと思います。学生の頃はバスケ部で、ヘタクソながら結構真剣にやっていたんですが、その時の恩師の言葉を今でもよく思い出します。現役時代、全国大会に出場された方で、ある日「そんな大舞台で緊張とかしないんですか?」と何気なく聞いたんです。すると、「あの場にいる誰より練習してきたんだから、緊張のしようがないだろ」と。普段は徹底して技術論ベースの方だったので意外でもあり、強烈に意識づけられましたね。TJARに向けての10年も、自分の持てる時間はすべて費やしていきました。そのうえで本番も同様に、すべてを出し切れば良い、という自信がありました。そこで勝てるかどうか、実際に速いかどうかという基準はあまり関係がなかった。

垣内康介さん

とはいえ本番でも「出し切れたかどうか」というのも自己評価にはなるわけですよね。その厳密さはなぜ維持できたのでしょう。

たしかにそうですね。僕自身の場合は大浜海岸(TJARのゴール地点)で人生が終わるつもりでした。お金も時間も、そこで終わり。あとは何にも残らない。ただ、あそこまでは必ずいく。無責任と思われるかもしれないけど、「帰ったら人生は終わり」と思って出し切ることが、僕のなかでの重要なマインドセットでした。過酷なレースとはいえ一応は運営もいるから、あの場には身を投げ出しうる環境があった。とも今では思います。その反面、「生きて帰る」を目標にした厳冬期の挑戦では、目標がゴールではなく生存になった。単に「出し切る」わけにはいかなくなった。その差の大きさを推し量れなかった時点で、僕は完走する気がなかったんだなと後からすごく反省したんです。

TJARと同じルートを厳冬期にソロで挑まれたものですね。しかし、撤退を決めた翌日には能登地震が発生していて、どんなトラブルがあったかも分からないわけですよね。過酷さも撤退への嗅覚も一般的な感覚から超えてしまっているようにさえ思います。

なんとも言えないですね。そもそも僕はリスクを取れるほどの位置にまで本当に到達できていたのか、と考えたんです。当然、撤退する分の余力は常に残さなければいけませんから、厳冬期ではどう進むかよりもむしろ、いかに停滞と撤退の判断をくだせるかが重要でした。

挑戦中には、どんな困難さがありましたか?

雪をかき分けながらの進行に想像以上の時間がかかるのはかなりストレスでしたが、そうした体力的なものというより、現状の装備が自然の環境に耐えて適応できるかの方が問題でした。TJARの行動プランとは違って、16時にNHKでラジオの気象情報が入るので、それに間に合うようにテントを設営し始めます。けれど8日目にテントを張ろうとした時には、積雪速度に除雪が間に合わなくなったんです。同時に、周到に用意をしてきたウェアの性能まで超えてきた。異常なほどの積雪下での、長期行動までは想定しきれていなかったんです。何度も何度も検証を重ねてきた装備の想定を環境が超える。どうにか、確保した極小の空間でやっとの思いで横になりました。全くナメてはいなかったし覚悟もしてきていたつもりでしたが、まだ全然甘かったことを痛感しました。

積雪の中を走る 提供 : KOUICHI AOTANI

当然、相当の準備をされてきてもいた──

はい。現に、ガス管のストックも十分にあり、濡れた衣服だって暖めることはできました。ラジオからの情報だけで書き起こせるるようにしてきた天気図から、数日のうちに晴れることも分かっていた。挑戦は続行できる。それでも、雪洞のなかでどうにか体を休めながら、進退の瀬戸際にいるのを感じていたんです。雪から這い出て晴れた日差しを浴びた翌日に、撤退を決めました。装備そのものというよりは、生きて帰る覚悟の問題だったのかもしれません。

手の寄り。普段木工会社勤務の垣内さん。

改めて「覚悟」というものはどういったものなのでしょうか?

特に冬山においては、簡単に生死が自分のものとは思えなくなってしまうんです。決めるのは自然の方だ、と。そのくらいの理不尽さがある。そこに挑むからには、危険も招き入れざるを得ない。たしかにそこにロマンはあります。そのうえで、続行と撤退の判断を冷徹に下す。その覚悟ですかね。危機が迫ってからいよいよ焦ってるのではもちろん遅いです。

挑戦の前には戦時下に書かれた手記を読んで辛さの認知を下げてから臨まれるそうですが、逆に日常生活で人への優しさを失ってしまったりしないですか?

そもそも普段僕がすごく自分に対して厳しいかというと全然そんなことはなくて、日常生活では結構いい加減です。もちろん目標を定めて向かう時には、もちろん厳しくするんですけど。良いか悪いかは別にして、人のことは基本的にどうでもいいと思っています。

目標の水準が次第にエスカレートしていくことへの恐怖はないですか。

難しいところではありますね。TJARの後、数ヶ月は何も考えられなくて、その時の自分は客観的に見ても全然格好良くなかったんです。気づけば、目標は前人未到にまでなっていました。

積雪の中歩く テントを張る 提供 : KOUICHI AOTANI
垣内康介さんの写真

現代で目標を立てる、というと短期・中期・長期にわけて計画して立てる。みたいなことが良い目標の立て方とされていますね。

先のことを考えて目標を立てすぎると、本当に何がやりたいのかがぼやけてしまうので、漠然としていても、ひとつの高い目標に集中するようにしています。ただ厳冬期は、ギャンブル的な要素が強くて、ゲームみたいに3つライフがあればどうにか行けるかも、ということはわかりました。それは「挑戦」とは言いづらい。

では、5~60代のことを考えたりも?

しないですね。とりあえず1つずつ終わらせていきたいです。

垣内康介さんの写真 提供 : KOUICHI AOTANI

「厳冬期ソロTJAR」への挑戦から、1年が経った今、目標やモチベーションをどのように捉えていますか?

次は残雪期での挑戦を考えています。手放しに応援してくれる人ってほとんどいなくて、特に周りの家族だったり、仲が良くなればなるほど「危険だからやめときな」って、意見が多くなる。当然ですよね。反対に、「頑張りなよ」って言われることもたまにあるんですけど、それって大して心がこもっているようには感じません。大前提、「厳冬期」自体、相当な危険を伴うので当然批判の声もある。でも常識をひっくり返してやりたい。というのは、やっぱり昔からあるんだと思います。

お話を聞いた人 垣内 康介 (かいとう こうすけ)
1979年生まれ。岐阜県高山市出身。
3児の父。岐阜県高山市の木工会社・柏木工において製造管理を担当している。
初出場のTJAR 2018において、6日と1時間22分で初優勝。
垣内康介さんの写真

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気になる人がたまにいる。そのことは見れば分かる。でも、なんで気になったのか、それがどこからきているのかは分からないことの方が多い。だから、聞いてみた。気になる人の足跡を追って内面へと遡行する、前進の解剖学。