Text: Ryoji Nakashima Photo: Kosuke Ikeda

Chapter 7

個人的な建築

丸田 真 (丸設計室)

川と併走する旧国道は地元民の生活道で、多くの車が隣町へと走り抜けていく。覆道を抜けたあたり、川向こうの堤防に自生した竹林の奥に、ふたつのヴォリュームを、ガラスでつないだ端正な建物が見える。抑制のきいたベンガラ色とシングルと呼ばれる重ね葺きが対照的だ。素通りされていく対岸に町が、住む人の生活が、たしかに広がっている予感を、その建物はこちらに伝えてくる。丸設計室。設計から施工まで一貫して手がける工務店としての在り方を追求するこの設計事務所の代表である丸田さんは「建築家にはなれない」と言う。
丸田真さんの写真

「建築家にはなれない」というのはどのような意味でしょうか?

建物は設計して終わりではないわけで、実際に作り上げるまでが仕事です。僕はそういう意味で「建築家」というよりは「工務店」でありたいと思っています。高校を卒業後、地場のゼネコンで設計士としてではなく現場監督として働いていたんですね。なので、元から建物をつくることは1人のデザイナーで完結するものではなく、関係者が入り乱れてどうにか成立させる「ビルド」のプロセスを強く意識するものでした。

現在の設計施工の一貫性にもつながるお話ですね。特に設計へと傾注されるのには、何かきっかけがあったのでしょうか?

飛騨に残る歴史的な建物にはやっぱり惹かれました。見た目の格好良さはもちろんですが、設計の倫理や態度を強く求められているように感じたのはそれらのディティールに表れた地域性を見てからです。細部にこそ、当時のこの土地に生きた人の思いが詰まっています。一方で、こうした美意識や価値観が、現代ではしばしば事業の利益と相反しがちなことも痛感していました。コストを抑えるためには既製品で済ませなければならないことも多く、ディティールに限らず、土地とは無関係な建物が増えていくのはどこかやるせない気持ちがありました。

この土地で独立されたのも、そうした飛騨への思いが?

「飛騨」というと少し範囲が大きすぎるかもしれません。僕の場合は、もっと具体的で小さな土地への思いです。10歳くらいから弟と一緒に実家の畑で芋掘りや田んぼの手伝いをしながら過ごしました。その頃から近所の人たちにはよく声をかけてもらい、僕も家族も周囲に支えられて生きてきました。だから、広域な「飛騨」というよりは、具体的に想像できる身近な土地に根付いていたいという気持ちがあります。

丸設計室が手がける家屋の特徴的な壁の断面

特定の設計者からというより、土地からの、さらに言えば生まれた町の影響を強く受けているんですね。

その人の趣味や気質というものは、住んでいる土地の環境で出来上がっていくものだなとよく感じるんです。つまり、個人の人格は土地や風景によって形成される。その人間が、今度は土地の風景をつくる。僕自身もそうです。僕は街の子ではないので、自分の田舎のことをよく考えます。過去にクライアントとの会話のなかで、北欧のとある地方に建つ家の写真を見たら、飛騨の、特に農村部の風景にそっくりで驚いたんです。異なる土地であっても、同じ人間が考えることですから、気候が似ていれば建物も似てくる。気候や資材などの切実な状況を前にした人間そのものが垣間見えるような気がして、農家住宅が好きなんです。他には、近代に日本中で家屋に付随させて建てられた洋館にも関心があって、神戸や札幌の方で残存するものを見に行くこともあります。

このオフィスの国籍や時代がリミックスされたような佇まいにもよく表れていますね。

洋館自体はこの辺りではかなり少なくなってきているし、擬洋風建築と呼ばれて半端なイメージで語られてしまうこともありますけどね。特に洋館は迎賓のための機能というだけでなく、豪華さを誇示する目的でも作られていましたから、そういう人間らしいところが好きなんです。これはほとんど僕の個人的な趣味です。でも、人格にまで影響してしまう土地を作る責任をしっかりと負うためにも個人的なことこそを大事にしたいと思っています。

まずは手書きでパース図を起こす

では、「個人的なこと」を重視される姿勢は、クライアントワークでも同様なのでしょうか?

そうですね。お施主様の要望は当然聞きますが、それにそのまま応えるわけではありません。初めて敷地に行ったら残せるものがないかをまずは確認しますし、その時々で僕にとってのチャレンジングなことも積極的に提案に織り交ぜます。それらを図面やパースに落とし込むので、ニュアンスを伝えられる手描きを多用しますね。

施工まで担当するのは、個人ごとに現れる微妙な差異を完成まで放棄しない必要があるからなんですね。

エントランスの薪ストーブ背面の壁は「版築」(a)と呼ばれる工法でできていますが、それによく表れていると思います。自身の身体を使って土を運びながら、色や粒度の違いを選定していきますが、そうしたなかでしか残せないものがあります。必然性は認めつつも、どうしても分業制ではひとごとになってしまう側面があると思っていて、それこそ全人格的に関わらないと本当は建物ってできないんじゃないかなと思んです。できれば人間よりも長生きな建物をつくりたいので、引き継ぐひとが価値を感じてもらえるようになったらいいなと。

丸田真さんの写真

ここでいう「価値」とはなんでしょうか?

色々あると思いますけど、「建物が残り続けそうかどうか」ということですかね。例えば、劣化したとしてもメンテナンスができたり、地域の気候や風土に合っていたり。それでそうした物事も、やっぱり僕個人の趣味の延長にあるものでもあると考えているんです。「趣味」というと無根拠でひとりよがりなもののようなイメージがあるけれど、僕にとっては長く建ち続けてきた建物が感じさせる「土地の感覚」が凝縮された重要なものなんです。機能的に長く損なわれないだけでなく、情緒的にもロングライフである必要がある。だから、そういった広義での「趣味」の押し付けが価値になるのだと思ってます。

大工の技術が廃れない様、継ぎ手を用いる 特徴的な壁面は外壁にも
丸田真さんの写真

町内のエリアに手がけられた建物がどんどん増えていきますね。

それは、祖父や親父のおかげというのに尽きますね。近所のひとと仲良くやってくれていたおかげで、息子に仕事の依頼をしてくれます。このことは2人が亡くなってから気づかされました。人とのつながりが土地そのものをつくっているんだな、と。よく建築や土木を「地図に残る仕事」と言うけれど、近隣の人が「あの建物の横の──」っていうように、その地図は心理的なものでもあると思います。その反面、風景を売りにしてきた観光地が、100年後の風景を作れていないのだとしたらすこし寂しいですね。

なおさら今後の丸田さんに求められる期待感の質が変わっていくような気がします。

昔は棟梁が設計をして、材木を刻む技術も持っていたので、そうなれたらいいなと思っています。とはいえ、大工の技術は本職には劣るので、せめて大工さんの技術を衰退させない建物を計画したいんです。人は死んでも技術は残っていくので、技術を必要とする建物をつくること自体が、翻って、残っていく風景をつくることになりますから。あとから来た人が得られる技術があれば、その建物の守りをしてくれるはずです。

事務所外観
版築を用いた薪ストーブの壁面

ご自身が退いた後のことも想像されている。

僕は、かわいいサイズの小型車に釣竿を積んで、近所のパトロールにいくじいさんになりたいです。笑 逆に言えば、そのくらいのまわれる範囲での、風景を守りする人。ですね。それまでのリミットも迫りつつあると思ってます。60歳までが設計者としての旬だとすると、残りは15年。1年に2、3軒だとしたら、こだわった建物があと45棟くらい建てられたら幸福なんじゃないですかね。

(a) 型枠の中で土を層状に突き固めていくことで躯体をつくる工法。国内に限らず、中央アジアでも古くから見られる。 (b) 映画監督マーティン・スコセッシの言葉。 “The most personal is the most creative.”
お話を聞いた人 丸田 真 (まるた まこと)
丸設計室代表。一級建築士。高山生まれ。実家の丸翔アルミに従事したのち、2023年丸設計室を開設。設計から施工までを一貫して担当する。
書籍を覗きながら 丸設計室
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気になる人がたまにいる。そのことは見れば分かる。でも、なんで気になったのか、それがどこからきているのかは分からないことの方が多い。だから、聞いてみた。気になる人の足跡を追って内面へと遡行する、前進の解剖学。