Text: Ryoji Nakashima Photo: Kosuke Ikeda

Chapter 2

せめぎあいの片端から

安江 悠真 (伐採業)

約束の正午にすこし遅れてやってきた彼は、早朝から山に入っていたのだという。知人が所有する山に入り、クロモジやスギの新芽などの植物を採取する。それらは原材料として東京の事業パートナーへと送られ、クラフトジンやアロマなどの商品に変わる。シャツの袖から、やや筋肉質で日焼けした腕をのぞかせる今回のお相手は、飛騨市の林業系企業に勤める安江悠真さん。業務の傍ら、山や森林に住む様々な動植物へ向けるフェティッシュを多面的な個人活動へと展開させている。

この国の7割近くを覆う森林の豊かさは訪日客をしばしば驚かせる。一方でかつて人の暮らしと密接にあったこうした自然が、どう変化したかは周知のとおりだ。曽祖父が植えた木を切り、蓄え流れる雨が飲み水と動力に変わる。そんな時代は遠い過去となりつつある。資源の供給地から、扱いに困る放棄地へ。特段の理由はなくとも山に入る暮らしはすでに失われてしまったのかもしれない。

そんな現代で改めて山と関わる、とはどのような営みを指すのだろうか。何に喜び、何と苦闘することなのだろう。安江さんは、人の暮らしと自然が混じり合う境界を「林縁」と呼ぶ。そんな「林縁」で起きる様々にせめぎあう事象は、現実との折り合いをつけながら独自の関わりしろを見出そうとする安江さんのもがきと、どこか重ね合わせられていくようだった。

安江悠真さんの写真

熊の研究をされているとか。

修士課程での研究テーマが熊の生態についてだったんです。熊、おもしろいですよ。

きっかけは何だったのでしょうか。

小さい頃から実家の裏山が遊び場で、そこにやってくる昆虫や動物を見つけるのが大好きだったんです。それもあり、自然科学を学べる岩手の大学への進学を決めました。当時から人間と生き物が混じり合う環境に興味があって、強引な開発行為にも、多発する獣害にも見過ごせないものがありました。なので熊がどのような行動をして、なにを食べて生きているのか知りたかったんです。

どのような研究だったのでしょうか。

熊を捕獲して眠らせているあいだにGPSの首輪をつけ、行動のトラッキングをして、落とした糞の内容物を見る。ということをしていました。そういったことをしぶとく続けていたら、当時よく分かっていなかった、蟻の捕食について明らかになったんです。当時は夏季の熊が蟻を食べることは知られていましたが、どうやら人間が放置しておいた切捨間伐材の中で食べられている。熊の生態には、知らず知らず人の手が介在していたんです。

安江悠真さんの写真

そうしたエリアを「林縁」と呼んでいる。

そうです。とはいえ熊の例はやや特殊な方で、元々は人の暮らしと自然が密に重なりあう、まさに実家のような周縁とでもよぶべき場所(a)に注目し始めました。そこは大抵が、人口減少にあえぐ農山村でもあります。この先、集落が10~20年で消滅してしまうにしても「いよいよどうする?」となったときに、自分なりの考えを持ちたかったんです。

現在はどのような「考え」をお持ちですか。

未来に託すようですが、現代にはない山との関わり方が出てきて、それらの活動や運動が大きなうねりとなっていかないと、成り行きは変えられないだろうな、とは思います。

安江悠真さんの写真

現代にはない関わり方とはどのようなものでしょうか。

僕もなにか明確な考えがあるわけではないですが、それを目指して様々な個人活動が多方面に伸びているのだと思います。例えば具体的な試みのひとつに、山から食や香りを楽しむプロダクトを生み出す〈日本草木研究所〉のプロジェクトがあります。僕はこれに山主と直接やりとりをして素材を採集する役割として参画しています。集めた自然素材は、ジンやシロップ、サイダー、アロマなどの製品になって流通していくんです。 ところで、「森林資源の豊かさ」って何を指標に決まるかご存知ですか?

たくさんの種類がいること?

そうです。種の多様度。もうひとつが、標高差です。気温の違いによって同じ山でも採れる時期がすこしズレたりします。長く採り続ける、つまり本当の意味で資源化するには標高の違いが必要なんです。いくら持ち山があっても、一家の持つ範囲は限られている。だから、多くの山主とのネットワークを築いて、安定的な資源の供給源として面的に山を捉え直す。そんな流通のハブとなるブローカーみたいな存在が必要になるのだと理解しています。

安江悠真さんの写真
安江悠真さんの写真

「山のブローカー」。たしかに聞いたことがありません。何が求められるんでしょうか。

複眼的に山と向き合うことだと思います。最近では、〈日本草木研究所〉がサービス構築やマーケティング戦略を考えるために森林のリサーチなどもします。ペットメーカーがまたたびを欲しがっているとあれば、この地域内でまたたびはどのくらい採れるのか、その根拠を示す。実踏調査が必要なこともあれば、過去のデータから分かることもあります。そのため、数字を扱えるだけでも、山主の視点を持っているだけでも、植生を理解しているだけでも、木が切れるだけでも成り立ちません。それら複数の観点から、山林資源を価値付ける必要があるんだと考えています。

これまでの専門性に捉われず試してきた点がつながっているんですね。

そうかもしれません。 自分の関心は明確でしたが、それを実現する方法やそれで得られる結果は様々にテストしてみる必要がありました。振り返ってみれば、そうしたテストの中で副次的に得られたものが役立っているなと思います。そう思うと、目の前のものに反応して飛びついてきたのも悪くなかったのかもしれません。これらのおかげで、最近「林縁」という語の捉え方も変化してきているんです。当初は、人間の生活圏と動植物の棲息圏がせめぎあう、地理的な位置関係としてのみ捉えていました。でも多様な活動を通してみたとき住民の「生活」だけでなく、「関わりしろを持つ」「タッチできる」という圏域の広がり方もあるのだと思います。すると、なにか、人間を中心とした同心円上でせめぎあう生活と自然という単純な図式から、広大な自然の中に人間の生がまだらに介入していく。そんなある種、惑星的な広がりがこれからの「林縁」なのではないか、と考えるようになったんです。よく言われることですが、人の手が適切に介在した山林の方が、却って自然環境の改善につながる傾向にあるんです。もちろん、農山村がその惑星の大きな恒星であることに変わりありません。とはいえ、住民だけが地域の未来の責任を負う必要もなく、「林縁」はむしろ住空間からはすこし距離を取れる分、多様な主体を巻き込みやすくなる場になりうるのではと思います。

熊が剥いだ樹皮
安江悠真さんの写真

「関わりしろをもつ」と一口に言っても、簡単なことではないですよね。

そうですね。なので、思考に身体が追いついてこなければと思っています。常に環境が変わり続ける自然のなかでも信頼に足る、理屈じゃない動物的勘。みたいなものが今の自分には最も必要だと思います。それは、ロープの結び方や重機の応急処置、的確な伐採だったり、些細でごく単純だけれどもだからこそ重要な反応として現れてくるはずなんです。これらは、今現在でも山と向き合ってきている林業者や猟師さんたちが当たり前に考え、手触りとして持っていることだと思います。なので、これからの林縁も単なる資源の有効活用の場として捉えるのではなく、山とともにある私たちの生。その端緒となるべきだと信じています。

(a) 岐阜県白川町。岐阜県東部に位置する県内最小の村で、茶葉の産地としても知られる。
ちなみに、安江さんの実家も茶葉を育てているそう。
(b) ユクスキュル / クリサート『生物から見た世界』(岩波文庫、2005)
安江悠真さんの写真 安江悠真さんの写真 安江悠真さんの写真
お話を聞いた人 安江 悠真 (やすえ ゆうま)
1989年 岐阜県白川町生まれ。 昆虫少年の延長で岩手大学の農学部に進み、遠野でクマを追う。 林業と野生動物の関わりをテーマに農学修士を取得。 現在は林業会社に勤める傍ら、〈Forest Edge〉を屋号に活動中。
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気になる人がたまにいる。そのことは見れば分かる。でも、なんで気になったのか、それがどこからきているのかは分からないことの方が多い。だから、聞いてみた。気になる人の足跡を追って内面へと遡行する、前進の解剖学。